肺移植で元気になった
親子のストーリー
これからは思いっきり深呼吸して、
生きていってほしい。
脳死肺移植の待機期間中、苦しそうに息をする娘、もう生きて行く気力もなくなりつつある時でした。「奇跡の巡り合わせのおかげで希望の光が見えた」とお母さんは涙ぐむ。大きな移植手術を終えICUに戻った愛娘と再開した。
この子はもう呼吸に苦しめられることはない。これからはいただいた命とともに、思いっきり深呼吸して生きていってほしい。
普通の生活が送れること、
それは生体肺移植で叶えられました。
病状も悪化してきたさなか、突然血を吐いて倒れた時にはもうだめだと思った。人工呼吸器につながれた娘、命の灯火が消えようとしていた中、生体肺移植を決断した。母の思いは娘の新しい命となり、こうして再び何気ない日常を楽しめるようになった。ありきたりな生活かもしれないが、そんな普通の生活が送れることへの感謝の気持ちを忘れたことはない。
病状は限界まで悪化、
この子を助けてほしい…。
娘は当時、入院先の名古屋の病院で人工呼吸器、そして人工心肺装置もつけなければ命をつないでいくことができませんでした。肺移植を受けるにはもう限界というところまで病状は悪化していました。「うちの子を助けてください…」そうお願いするしかありませんでした。それ以降、事態は急展開。名古屋の病院での搬送準備、自衛隊機による搬送、岡山での緊急生体肺移植手術…。私もドナーになりました。
現在、私の目の前には昔と変わらない元気なわが子がいます。
娘と同じような病気で苦しんでおられる多くのご家族に、病気のこと、治療のことを知ってもらいたいです。
お父さんお母さんから、
愛のプレゼント。
酸素や点滴の管が完全に取れ、お風呂上がりの消毒や点滴の付け替えの時間に追われることなく、長湯したりして元気そうです。不安はありましたが、この子が元気になるために自分で選んだ道なので、お父さんお母さんからの愛のプレゼントとして肺をあげて移植しました。先生方には本当に感謝しています。
元気にできます!助けられます!
大藤先生は
力強く言ってくれました。
うちの子は小さい頃から肺炎を繰り返しており、肺炎になる頻度も増えてきたため、今のうちに移植の話を一度聞いてみないかと勧められました。初めは近くの移植できる病院を紹介され受診しましたが、私たち夫婦はモヤモヤした気持ちが残り、すぐにお願いしますと言えませんでした。
その結果を入院中の子供病院の主治医にお話した所、実は少し遠いですが肺移植で有名な先生がいるということで、先生同士が連絡をとってくださり、入院中の子供病院まで大藤先生が往診に来てくださると、とても驚きました。
小児肺移植のストーリー続きを読む
自分らしい人生を、
これからも楽しんでいきます。
私と家族にとって、昨年はとてもドラマチックな1年でした。
私のリハビリも1年を過ぎ、負荷も厳しくなりましたがいい筋肉が付いてきました。おかげで信州・湯ノ丸高原へお試しハイク、第2弾として秋の上高地では紅葉ハイキングを楽しみました。12月には北海道スキーを計画しているので、毎日歳の数だけスクワットを始めました。果たしてどうなることやら…。
娘と息子からは「お母さんらしく人生楽しんで」と言われているので、貰った元気な肺を有効活用しています。
また、入院中に応答塾のことは伺っていたので、来年は元気に参加して、先輩方の経験談などを聞いてみたいと思っております。